2006年10月22日

文章とは、技術プラス何か、なのかも

スズキでございます。

少し前の話題になるのですが、作家の坂東某という方が、自らの飼い猫が産んだ子を崖から投げ落としている、と新聞のコラムに書いて批判を受けました。

ことの是非については皆さまそれぞれのご意見があると思います。何より僕自身も猫好きですので、平均的というか一般的というか、そういう意見にはならないかもしれません。

しかし是非を抜きにして考えてみると、猫を山や川に投げるというのは、ペットの去勢や避妊が一般的ではなかった頃はどこでも行われていたのです。心が痛むことですが。
なので、10〜20年ほど時代がずれていることを除けば、その作家さんだけが日本中(現在海外在住で、その国の方々からも批判を受けたそうですが)から非難されるのはおかしいとおっしゃるむきもあるでしょう。

では、なにがいけなかったのか。僕はふたつの理由があると感じました。
まずひとつは、実も蓋もない言い方ですが、有名人だからでしょうね。高校生が校舎裏で武勇伝を披露するのと、名も地位もある方が公式の場で文章にするのとはわけが違います。

で、もうひとつの理由は、作家さんに対して言うのは恐縮ですが、文章の問題。端々ににじみ出た気持ち悪さです。

問題とされる文章を読みましたが、簡単にまとめれば、「自分は子猫が産まれるたび何度も投げ捨てているが、それはつまりペットの猫から出産の喜びや達成感を奪っていないことであり、避妊などよりも生命を重んじた行為である。そのために私は、この私は、子猫殺しの罪と辛さをあえて被っているのだ」というような内容でした。僕はそう読みました。

今風に言えば、逆ギレという感がある文です。
子猫を捨てる、という行為だけであれば、前述のとおり他にも行われていた、もしくは行われているでしょう。しかしせめて、その行為を振り返った後には「かわいそうなことをした」というような後悔の念を中心とすべきだと僕は思います。

なのに坂東氏は子猫殺しを正当化するだけではなく、去勢や避妊処理を行っている全国の飼い主さんを下に置き、言外に非難してしまっているのです。意識的な非難かどうかは別にして。
これで反感を買わないはずがありません。

さらには、こんな罪をあえて背負っている自分はなんという悲劇のヒロインか、聖母か、という意思も透けて見えます。正直、気持ち悪い文章です。
もちろん文章は受け取り手がどう読むかという問題もあります。世の中には、「こんにちは」と声をかけただけで怒り出す人、怒られるシチュエーションもありますしね(笑)。

僕も自分の解釈が絶対だとは思いませんので、ご興味のある方は坂東氏のコラムをご覧になってみてはいかがでしょうか。
坂東氏のコラムが最初に掲載されたのは2006年8月18日の日経新聞夕刊だそうです。後になって他紙やインターネットにも転載されましたので、簡単に見つかるかもしれません。


さて、重ねて書きますが、この問題に対しては、猫がかわいそうという感情を抜きにしても関心があります。ほんの一言加えれば、もしくは一言取り除けば避けられたかもしれない非難。

文章の技術には問題なしのはずの作家センセイであれば、読み手のすべてとは言わないまでも、読み手の大多数がどんな感想を抱くのかを予想できるはずなのですが。
作家としての技術の衰えなのでしょうか。それとも、名のある方だけに身近に非難してくれる人がおらず、裸の王様になってしまったのでしょうか。

もしかすると、技術があるからこそ「私はこんなにも崇高な人間」という部分が強くにじみ出てしまい、臭みや嫌味になったのかもしれません。

なんにせよこのお方は、文章のプロとして、人格や主張とはまた別なところで反省点があるような気がしてならないのです。

小手先の技術だけでは人様の心は掴めないのだとしたら、それはそれで素晴らしいことですけどね。
文章を書くには、技術だけではなく心も鍛えなければならない、と、ちょこっとした文を書いて小銭を得ている身分としても教訓にしたいと思うものであります。

もちろん教訓にして頑張るだけで、示せているかどうかは自信がありませんが。
このスズキ、自信のなさにかけては自信があります。

ほいではまたー。
posted by スズキ at 14:41| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記