なんでも、人は見た目が9割という本がよく売れているそうで。
僕はこの本を読んでいないし、読む予定もないので内容には触れませんが、売れているそうなので、良い本なのでしょう。本についてはこれで終わり。
で、先日、テレビにこの本の著者が出演されてまして。人に与える印象のうち、言葉なんてものはほんの数パーセントとおっしゃっていたわけです。
ありゃりゃ、言葉って、そんなに小さいのですかね?
で、本はともかくテレビを見ましたのでその印象を語らせていただきますと、この著者の方、コメンテーターに対し「です、ます」で話していたと思いきや、何か質問されると「うん、そうだね」といきなりタメ口で返したり、社会人1年生でもできる言葉づかいを未だ習得されておられない。宮崎哲弥ばり。
言葉というのは、恐ろしいものです。「〜ですね。」が、「〜ですよね。」になっただけで、印象が180度変わったり、360度変わったり(つまり変わらない)ことがあります。
なんだか、言葉の重要性が普遍的に低いのではなく、この方個人が言葉を軽視しているだけでは、と感じられてしまいました。少なくともここに、その数パーセントのはずの部分から「あれあれ、この人おかしいぞ」と思ってしまった男がいるわけですし(笑)。
また、言葉の力、というとプラスの面がイメージされがちですが、直接的な暴力よりはるかに問題がある場合もありますからね。その意味で、最近騒がれているジダンの頭突き騒動などは、相手が何を言ったかによって僕の立ち位置は変わります。
何を言ったのか真実は未だ判明しておりませんが、もしも相手の大切な人や家族について何か言ったのなら、頭突きよりも言葉の暴力のほうが罪が重い。どんなひどいことを言おうが必ず頭突きより罪が軽いってこたあない。それこそ言葉の力とやらを軽視しています。言葉で中傷しなきゃ、そもそも争いが発生しなかったわけですしね。
争いごとに際しては挑発して手を出させたほうが勝ち、なんて風潮が、腐った男を大量生産するわけです。男にゃ、頭突かなければいけないときがある(すみません言い過ぎました)。
そういや、パキケファロサウルスが頭突きで戦うという学説は今は否定されてるんでしたっけ。子供の頃見た本には真実のように書いてあったなあ。恐竜の本ばかり読んでいた幼稚園時代。
話を戻しまして。もちろん、見た目や非言語コミュニケーションも大切だということは言うまでもありません。大きな身振り手振りで話し、主導権を取るのはプレゼンテーションなどにも有効ですしね。だから逆に、「人は言葉が9割」かと言われれば、これまた的を射ているとは思えません。
失礼に聞こえる言葉を発していても、その人の表情や態度から「ああ、こういう言葉遣いなだけで、悪気はないのだな」と判断できることも多いですしね。言語も非言語も、お互いに補い合う関係なわけです。
なにより僕自身とても臆病ですから、人一倍、見た目の情報を頼りにして生きていますし。僕の場合はルックス、美醜を見ているのではなく、しぐさや目つきから怖い人、怖くない人を見分けようとするということですけど。
まあ、「見た目が9割」というのは、売れるようにするための強烈なキャッチコピーであり、タイトルで勝負が決しているという印象がありますから、そういう意味で極端に言い切る必要があったのでしょうね。著者や読者の方々も、本気で9:1とは考えておられないと思います・・・よね?
ただ、えーとまあ、なんというか、テレビでこの先生の見た目、しぐさを拝見した結果、やはり言動というのは大事だなあと感じました。当たっていますねこの本。
やっぱ失礼な態度は駄目ですよ、うん。先生のおっしゃるとおり。勉強になりました。
腐しているのか褒めているのかという感じで終わります。
でもまあ、おそらく『見た目が5割』といった中途半端なタイトルだったらここまで売れなかったでしょう。そのへんは商売商売ですよね。とりわけ新書はタイトルひとつで売れ行きが全然違います。『バカの壁』『国家の品格』『さおだけ屋はなぜ〜』あたりは全部キャッチーなタイトル故に売れた本だと思っとります。
もっとも本当の著者はそいつではなくて
そのキャラクタを売ろうという企画者の可能性が
半分ぐらいあります。
いずれにしても失敗だと思うけど。
タイトルはどなたがつけたのでしょうね。コピーの勝利ですね。
キャッチーなタイトルがついたものでも、中身はさらに充実本もありますしね。
>砂野さん
おっしゃるとおりでw
まあ、「見た目が9割」の著者ということで、「どれほど洗練された人物なのだろう」と過度な期待をしてしまった面もあるのでしょうけどね。
口は災いの元ですなあ。