またぞろ、深夜にサイクリングなどをしているわけですが。
お決まりコースのとあるお寺に行きまして階段など昇っていたら、途中に一匹の三毛猫が。
どうやら人には慣れているようで、逃げるそぶりはありません。逃げないとなりゃあ撫でるしかないぜ、ってことでなでなで。
人差し指で耳の下をコリコリやっておりましたら、今度は猫が顔を上げて、「次はアゴを撫でて」と指定してきます。そんでさらに続けているとついっと顔をそむけて、反対側の耳の下を指定。汝、右耳を撫でられたら左の耳も差し出せってなもんで。
そうか。喜んでくれているのか。くそう、なんて可愛いんだ。
そんなこんなで数分撫でておりましたが、そろそろ満足した様子なのでさらに上へ。
そして本堂に着きますと、黒い体に口の周りだけが白い猫が座っておりまして。
彼(彼女?)も逃げる気はないようなのでなでなで。
しかしこの子は反応が違う。逃げはしないのですが、反応がない。僕が頭を撫でても背中をさすってもそのまんまの姿勢で、悠然と周囲に目をやったりしています。
嫌がってはいないのでしょうが、特に喜びを露わにすることもない、という落ち着いた様子です。
「撫でたいのかね。では好きにするといい」といったところでしょうか。
撫でて可愛がってあげていたつもりが、はるか上からあやされているような気分になりました。
結局、しばらく撫でたら別れを告げて帰ってきたのですが、あんなに落ち着いた猫というのも珍しいですなあ。まるで置き物のように座っていましたから。
深夜に寝るでもなくご飯を探すでもなく座っている彼らは、何をしているのでしょうね。
もしかすると猫又の集会でもあって、あの落ち着いた猫は偉いさんだったのかもしれません。
猫独特の、物知りげな上品な態度を見ているとそんなことを考えてしまいます。
世界中で猫が魔術と関連付けられたり、時には怖がられたりしたのも、そういったところから来ているのでしょうなあ。
もちろん僕の場合怖いということはなく、全ての生物の中でもトップクラスに好きなのですが。撫でてよし抱いてよし見ててよし。たまらん。
特に中身はないですがそいでは。
マッサージしましょう。猫は背中が凝るので、
背筋をグニグニと揉むと
「たまらん!」
という顔でごろごろごろ喜びます。
猫に親切にしておくと地獄に落ちたときに
猫の糸が降りてくるかもしれません。
そうですか、こんどやってみます。歳寄りだったのかもしれませんな。
猫好きの僕としては猫の糸はありがたいですが、僕が必死にわたわたと動いていると、彼らがウズウズきてガッとやられてしまいそうな気もします。